夏休みはもう終わり

遠藤の背に気づいたロート「っ」ぽさ

働きに出ると雨は冷たく。


  • 今期の蹴球×ほんほん

J1最終節×『スポーツ批評宣言 または運動の擁護』蓮實重彦


「サッカーって獣のように残酷なスポーツだから」*1
これでまたすべて足りるような「ここ」のリーグと
いつも運動に遅れる以上足りることのない言葉と。
桜が優勝すればこの界隈ではきっと
駄菓子屋前から10メートルくらいパレードがあったはずなのにと悲しむべきか
きれきれどころか「運動」そのものと化した西澤を
二度とセレッソ以外の場所でなんて見れないことを悲しむべきか。
お蓮の本は
「W杯で出てくるもの、"一に彗星二に詐欺師、三四がなくて五に茶坊主"」ってのだけは
じきぼけがきてもカドリエンナーレで思い出す。


  • 今期のモビレット映画研究

「フランスでキャラクターギャグ映画は成立するか」
『クレイジー・ボーイ 金メダル大作戦』(WOWOW/72年仏)



どうも、かつてフランス映画研究家だった者です。
経験則からいうに
かっとばされるの、きこきこされるの、
捨ておかれるの、
郵便局仕様に革かばんがつけられたの、
そしてもちろん、ぬすまれるのと
80年までのどうでもいいフランス映画を10本みれば
3台はモビレット、
英語でモーペッドにあたるものにあたります*2
で、
ひさびさに研究家として、とはいえモーペッド映画のそれとして活動再開。
上記映画は
さんまが加入者代表として特集でやるべき「おもろ」としてあげたもの。
5年前ほどにレンタル屋で一番したに隠すビデオの例として
『パパまた脱いじゃった』*3の名をあげたことから
ひそかに抱いた
「こいつもしや」との期待と不安がばっち当たってしまったこと以外には
正直異邦人が間違って松竹館に入って「こらいい」とパクった(それも劣悪に)ようなもの、
正銘のドリフ映画ならまだしもと言ってしまえば終わるが
フランスでギャグは映画として成立しても
キャラクターのギャグは映画になりはしないというのがあるのは
その国じゃあまりに映画は映画を志向するがゆえなのかどうか。
(『僕の伯父さん』は
「へんなおじさん」ではなくあくまでサイレントなおじさんである)

*1:byジネディーヌという名のアルジェ人

*2:ニューシネマバイク率よりも断然高い割か

*3:WOWOWは一時期他のどこでも見ないようなヨーロッパソフトえろ映画を「シネヴォヤージュ」という名でやっていました。肉体はすなわち旅であるか

そして夏休みはつづく(完本)

武郎のくせに逍遥な顔。して評価は×。

今期のおれだめトピック
「シリーズ・ネヤガワ図書館のトリビア(リティ)」
輝け第一回(にしてたぶん最終回)講談社豪華版日本現代文学全集の怪


「ここにあるすべての本を読まなければいけないのではないか」というめまい*1
「まあまあくそ本がほとんどなんだから」とようようなだめながら
図書館を歩くまで二十数年がかかった。


金沢*2のことをいってられない程度に
わが小宇宙(コスモ)ネヤガワもやっちゃってるんじゃないかという証は
大阪でいうところの「ヤカラ」*3の数ではなく
すこやかなお子たちオジたちをはぐくむ図書館にこそあり。
あくまでたまたまわしによりコスモのかたすみで
日の目を見ることになったある本はつねにまた見いだされる。
家にかえってとりあえずおしまいのところに、
ここでは○か×かがついてくる。

司書過程には
「数字が覚えられない」というなんとも文系な理由で
ひっかからなかったわしだが
はて豪華版全集とやらをたてておいて見下げたさいの
ページの束にぺけとはなんのことやら。
だいいち記号としてのぺけぽんにしてはぶさいくすぎる、
これはもしかせんでも本の前任者のだめだしに違いない。
白樺派*4まんせー連中からすら過小評価されている御大の傑作、
或る女』完本版収録の選集にぺけ……
「自分と違う意見の人間はアホのひとことでかたづける」と
眉をひそめられ(いまだけ)反省しきりのわしにしても
さすがにこれは。
気になるまるがついているのは誰の選集なのか
みてきたような気もするが
上記のように自分に風向きがあまりによくないと作動する
抹殺装置が働いたのかおぼえちゃおらん。


ふろく
コスモのかたすみの未確認定住人(UR)
案内人:わし(図書館研究)


1)作家の年が気になる

ハードカバーの最後のほうについてる著者略歴の
生年にぐりりまるをつけて
現在何歳かを計算して書きなぐる者もまたおられる様子。
女の作家の本を借りてくることによって
棲息が確認されること多し。


推察される正体:
「ああ三島はもう『花ざかりの森』を書き終えているうう」などと
悶絶する文学高校生のごとく
(この女は)いくつでかくかくの小説を書いたかに
目がぎらぎらの小説が書きたい人(だと笑う)


2)世界の貧困が気になる

叢書の大きな棚のかげにかくれて
ずうっと本を読んでいる女(ここまでは確認)の手にホワイトバンド


推察される正体:
バンド表面の***でレディメイドレコードのグッズと勘違いした
渋谷系元ねえちゃん。
ちなみに井川がつけているのは
白いバンドなんかではなくライヴストロングバンド*5ではないかと思うが
タイガースオリジナルゴムバンドだとかの疑いも晴れないでおる。
だいいちサッカーおたくだろ井川という念がはいりすぎておる。


ふろくのふろく

98年代表レプリカをきて文庫本の棚にむらがる小学生


推察される正体:
拉致ったろか。
近所には02年師匠ものと桜の西澤ものをそろってきて
駄菓子をかいにあつまるお子もいる。いい趣味。

  • きょうのぴこぴこ

『Xi[sai]』(SCEJ/PS)


サイコロいまごろごろごろ。
目がかわきすぎてとびだしてんじゃないかっつうゲームベストテン第一位。

  • 今期のイミテーション銀幕


「同時に撮ることと撮られること」



アビエイター』(デーブイデー/つたやさん)

ちっともおもしろくなく
母親の誘いにのってみになんかいかなくて
まったくよかったところではあったけども
上記のテーマだけを追求した映画だと考えれば
まあ170分どうしてくれると怒り心頭でもなくなれるか?


備忘録
ひとつの時間・ひとつの場所で同時に撮ることと撮られること=映画であることを

             ・
             ・
             ・

(あえて「監督主演作品とはなにか」ではなく)
意識的に処理する派代表
イーストウッドゴダール
(次点:カサヴェテス『ラヴ・ストリームス』、勝新『顔役』)*6

結局あんまなんも考えてない派代表
ウディ・アレン、シンチー、レッドフォード、ケビン・コスナー(全部)


前者一派ではなくむしろ後者が
アレンとシンチー以外は
「なんも考えてない=じゃ撮るな」のラインナップとなってしまうのもまた
ちょっとむつかしいところ。
(アレンもシンチーも自己愛過多*7では。
同時にそこが映画/作家としての肝でもある最上の例では)

*1:めずらしいことなんだろうか?家人も同じことを言っているが

*2:こないだ知人にあれほんまかいなとつっこまれたがええほんま。前々回備忘録参照

*3:ヤクザっぽい中年までの男のことだそうです。ついこないだしったばかりのついこないだ難波に初上陸したばかりのネヤガワ市民たるわたくし

*4:しかしこの人たちにはやたら記念碑たてるし金くれみたいなサイトがありすぎるんですがこれも異常人気のバロミターなのか?「新しき村」がまだ金つのってんのともわけがちゃうだろ

*5:小野が夏の終わりのアテネでへろへろに泣いた平山にプレゼントしたものでここが最安値だ。スウェーデンユーロモデルレプリカより断然安い(当然。ちなみに先輩への布施として購入されるさい背番号はぜひともラーションで)。http://www.bbfb.jp/livestrong.htm

*6:注(自分に):『悪名』より『座頭市』より監督第一作目のこれ。「映画」とは「ガラス=まわるカメラのレンズに反射しうつる自分の顔を見ること」であるという「ひとつの時間・ひとつの場所で同時に撮ることと撮られること」に対しての勝新のこたえがちょっと多すぎるくらいたびたびでてくる「ガラスにうつる勝新の顔」として画面で見えるかたちで提示されていることに感動したので。勝新といえば『顔役』つうタイトルがおもいだせずみたここで絶句。http://knowledge.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=5936726&flag=2&burl=

*7:注(自分に):イーストウッドはけして自己愛型ではなく逆にいつまでもネオレアリスモ西部劇でいじめぬかれていた習い性からあえてぬけだそうとしないあまり映画のどまんなかに来てしまうのではないか

世の中にいかな潮流もなし?

いつのまにか虜、Johanson a la folie

  • 今期のおれだめトピック

「iTunesMusicStoreにみるオーヴァーコレクティング」

日本店がさきごろついに、というかあら?ってな感じで開店したようで
まあちょっとはいろいろ見てみる。
iTunes以前の問題の大手レコ会社の見え透いた利権うんぬんより
レコード会社がすべて自分で買っとるんだよ、操作しとんだよとも若干言い切れない、
なんというかネタと思うしかない売り上げランキングに萎え。
萎えで思い出したが
iTMS本家開店のしばらくのち『Joao』*1が売ってあるのに気づいて、
なつかしいので好きな曲なんぞから試聴したらば
英題で示されるところの「i really samba」が
"eu xxxxx mesmo"となっていて萎えどころか
しばらく考えて、はあーこうなるかねとあきれ笑ったのだった。
葡語は習得機会を逸したのでしょせんはようわからん話だが
たぶん<サンバする>という動詞が
仏語でいうところのjazzer<ジャズる(!)>のようにあって
xxxxxは一人称男性だかの活用形ではないのかと思われる。
ので、あんたらが気にする(ふりをする)ほうの"sambo"ではないんじゃないのかと思ったが
いわば海外事情までもがコンピュータ仕事の中でこそとはいえ
オーヴァーコレクトされるというのは可笑しい。
「おれむっちゃサンバしとる」が日本じゃ「僕のサンバ」になるのは
キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』だのなんだのさんざ言われたおした身には
おかしくも可笑しくもなんともない*2


  • きょうのぴこぴこ

トゥームレイダー3』(PS)


ラニアにかまれると血が水の中でふああっとひろがりますし
ビークルのまま谷底などへ落ちると爆死します。
センサー銃を持った敵は倒れてもその瞬間はまだセンサーが生きてるのでちょっとくらいます。
それはいったいなぜか?洋ゲーだからです。
洋ゲーとわしのごときぬるゲーマーのさほど蜜っちゃない関係は
漫画のうまいへたがより写実的であるかどうかに比例しないのと同じなのではないかと
ふひつよーに大きくものごとをとらえてみるなつやすみ。


  • 今期のイミテーション銀幕より

ホリコシは海外でどう機能するか」

『ぼくセザール10歳半1m39cm』(2003年仏=ルクセンブルク
真珠の耳飾りの少女』(2003年英=米)


スカーレット・ヨハンソンのなんつうか、
ビッチを通りこして
これはあともうちょっとなんか足すと*3
リタ・ヘイワースいけるかも感が好きです。
マネエゲームまでやっちょるらしいセレブ姉妹*4まで受かるニューヨーク大に
(やっぱ)落ちてたらしいっていうところも
ハクづけ以外のなにもんでもねー。
しかしカルキンくんだとかとは全然違う意味で「こんだけの奴」が人生を、
スタアに見えない方向には曲がらさず成年したなあと感心したところ
どうやら「ホリコシ*5に通っていた模様だった。
スタニスラフスキシステムじゃなく人生をスター・ストラックに転がす法を
やっとこ一括伝授する気になったのは遅かったくらいだけども
どうやらガキが過剰に生意気でそんな必要はなさそうに思えるパリ*6にも
ホリコシ」はできていたらしく、
いまのところの代表選手は
『ぼくセザール』に出ていたジュールなんとかくん(きらいじゃないのにきあいゼロ)で
スター・システムがあそこまである国、
かたやいまだあるとはきっぱりゃいえない国において
ホリコシはなんの意味を持つのかのいいテストケース。
ちなみに『セザール』のデータを調べるために
原題うろおぼえでぐぐったところ
「あたしクリスチアーヌ、×歳、売春やっててヤク中で」みたいな映画がでてきて
あまりのことにブラウザをとじるやら注視するやら。


これがうわさのまちがい映画
http://images-eu.amazon.com/images/P/B000059XAV.08.LZZZZZZZ.jpg

8/12追記
『セザール』になぜか出ていたカリーナは
顔っつうかしわっつうかよりも声が変わりすぎていた。
あと、ちょっと好感なジュールくんが
どうやら肉じゅばんをきこんでいたらしいというのも
いかにもホリコシ培養のガキタレという気が。

*1:たばこや冷暖房どころかつめたいドリンコすら避けて通った70年アルバムもほぼ10年に1枚の徹底ぶり、そのちょっとしたアンフライングブラジリアンぶりだけはぜひ不徹底としてほしい、われらがジルベルトのなかでも最強と(なぜか)わしが自負しておる傑作。http://www.hmv.co.jp/Product/Detail.asp?sku=1967074

*2:注:ただ、高校どころかさんざん大学でまで授業で聞かされるはめになったと記憶しておる『プライベート・ライアン』というタイトルについては「プライベート」でよかったのではないでしょうか。隊内での地位としてのprivateときゃつ以外の男兄弟は全滅した以上家族を存続させるためにあの子は救わなければというほとんど任務でないような私的な任務のプライベートは戸田先生のあさはかさとはいっさい関係なく生きてきますゆえ。閑話休題

*3:身長と優秀な監督との結婚-離婚とをか?

*4:「16だもんね!」だかいう映画に出てたやつ。ボーボ(bohemian bourgeois)とかいう、いけない方言にも集英社のマンガにもなっちまうのを避けきれないでいる通り名のファッションを具現する方々とのこと

*5:大竹とかいう元代表かつ部活の後輩スタンドで応援女のおかげで堂にいった話芸がこの若輩者にすら見えてきた我らがテレ朝解説者まつきっつあんも通った、あの

*6:ほぼ脈絡もなく「ケツくらえ」というせりふがあったりだとか「女と寝たことは?」といきなりきかれてもにやりと笑いつつ即興で演技する余裕が子役にてある欧州は映画の都

studio名画座

役所でこんな顔はしてないし、できん

  • 今期のおれだめトピック(という名の映画館)


1本め/実録『福祉/Welfare'05』*1


金にこまる。
年金の支払いなんか事欠く。
ので役所へ駆込み訴へ。
家人のアドヴァイス、「"無職"より優遇されるよ」を可憐に信じ
"家事手伝い"の顔をつくっておく。
小芝居を打つべきか打たざるべきか悩んだあげく
シネマ・ヴェリテ風あっさり感をみなぎらせつつ
「一度おつとめに出たんですけど(それが去年の、支払ってる月なんですけど)
もう、そうなると家のことが立ちゆかなくなってしまいオイオイ」とのせりふは
ちょっとサンテレビ橋田昼ドラテイストもふまえつつ。

戦果(=どつぼ):30までニートしてていい権(=そこまでに生活の設計をしておく義務)

しかし、実は気が小さいのかなんなのか、
まあつらなって道をふさぐ高校生がふざけておろしたズボンをやぶにらみしつつ
ちゃりのベルをならしけちらし通りすぎると後ろから
「おいあんま見んなよー」と軽口をたたかれる類いのなめられよう*2を自覚しているからか、
それにしたってどうして日本は
「生れてすいません」*3
「へこへこすんのの回避の逆ギレ」しか選択肢がない国にみえるんでしょう。
少なくともわしにはそうみえた。
『福祉』をみてるかぎり、あの国の役所にあつまる人には、
「女は生きてるだけで偉いんだから」(Byカウボーイビバップ)を軽く周回遅れにさす
「肉の塊は生きて動いてるだけで偉いんだ」感が
みなぎっていたような気がしました。
そっちがいいかネヤガワがいいかなんて単純な話じゃないけど。


2本め/実験ネオレアレスモ映画『平野の歯抜け野郎』


金沢*4があってからというもの、
なんだか人生ちょっと開けたのだろうかと思うほど
Eventful(ららららららMusic&Love……違ったな)じゃないかおれの人生との
勘違いの揺れ戻し。
どうやら去年から抱えてたくさいが
魔都にての
「朝めしくって上映室でリポD、そのまま夜の金沢」の暴挙に虫歯が爆裂。
ひねた性格にみあって完全に横におがった親知らずの抜歯、
つうか所要時間2時間半、
けずってけずってくだいてくだいてやっとこ抜けるようなひね歯の手術、
ひね歯であるがゆえ根元近くはのどまで痛め
歯ぬけフーズ(ヨーグルトやらやわこいゼリーやら)どころか
鉄くさいつばすらやっとこのみこむような術後の侘び生活。
寝ておきただけなのになぜかまくらのカバーのタオルに
血(に色づいたよだれ)のにじむこの不条理さ。
まくら血、昼寝顔、まくら血、昼寝顔……*5
……悪いやつはあきらめない。

ふたたび、
悪いやつはあきらめない、
のでわしは抜歯翌日というのに家人と母と映画としゃれこみ。
もうかってかフレッドペリーのジャージを着込む劇中のイーストウッド*6に興奮、
まだ鼻汁が館内でじるじるいいだす前から勝手に鼻たらっしでおやつこんぶを食べたりで
泣いたガキよろしく熱が出る。
だからかどうか、
いえにかえってからせっかくの中通り商店街の焼き鳥を小間物屋としてリサイクル*7
が、みたび、悪いやつはあきらめないので
抜歯1週間を記念した来週の火曜には抜糸があるという。
(『さらば平野の歯抜け野郎』につづいたりして……)


  • きょうもイミテーション銀幕

ミリオンダラー・ベイビー』(まんをじして)


例)「イーストウッドが3か月、いや半年に1本はやってくれたらなああ!」
  I wish he could shoot once over three months, no, six.
まさに例文通りの出来、
イーストウッドが神々しすぎ、
他の追随を許さないどころか
次の日みた他のBS2の映画までよくみえてまいそう*8な出来。
はすみんだろうがなんだろうが
誰がなんといっても凄まじい恋愛映画。
(注意:『ブラッド・ワーク』以来のイーストウッドの脚本の選択に入り込む、
正統派ジャンル映画というひとつの完成目標を微妙にずらしてしまっているものは
考察余地おおいにあり)
しかし、ねえちゃんとも爺とも所定時間内にちゃんと恋愛ってのは
案外イーストウッドはじめての快挙かもしれない。
なお家内では
イーストウッドアイルランド系か疑惑にまた拍車がかかった。


  • きょうのホンホン

カンバセイション・ピース』(保坂和志


ついに保坂、『残響』のつづきをつづけるってなすげえ本。
いまんとこ芥川賞は1回よりやれないことになってるのは
保坂がこんな本書くからってのもちょっとはあんだろ、まじめにってくらいな。



メモ
どんだけおもしろくても寝だめしていっても
スクリーンでの溝口映画でつねに寝てしまう状態と同じか↓

「沢井さんって、学校行ってた頃から、
あたしが答えわからなくても
クラスの誰かがわかるんだからいいじゃんって思ってたって、
知ってました?」

「子供の頃から綾子が抱いていた、
自分が答えをわからなくても他の誰かがわかっているからいいんだという考えが、
世界との関わりについて何らかの真実を示唆しているように私は感じはじめていた」

カンバセイション・ピース』より

*1:前回日記を参照……してもわからんな

*2:「童貞のケツなんか見たかねえや」と言うべきか一瞬迷ってやめた。が、あんまおねいさんをなめんじゃないよ

*3:なんか、どうも太宰先生がおおいね今回

*4:この鬼な街については前回日記参照で確実に

*5:以上、ネオレアレスモで西部劇である以上必要かと思ってとってつけてみた交互アップのシーン終わり

*6:なんかの間違いで『ミリオンダラー・ベイビー』をみたお知り合いの人がいれば、リングサイドのテーブルで試合後にイーストウッドが着ているジャージの上がほんとにフレぺなんかであったかどうかを思い出してみてください

*7:「小間物屋」=げろのことです。マイライフ初出は満月ポンをひとふくろあけて夜中にトイレに顔をつけて座りこんだわしをみた亡き祖母でした。キャラモリさんとのガールトーク中にこの表現を出したんですがはじめて聞いたとおっしゃられてました。同じ意味の慣用句に「犬を悦ばす(犬悦する)」というのもあるようです。本でいちばん困るのは辞書でさがすのがめんどくさいこういうので、よく使うのは下記http://www.geocities.jp/tomomi965/index2.html

*8:映画愛で

私は如何にして心配するのを止めて金沢をこわがるようになったか

タレルの展示がどあほくさい21st mus.

さほど軟派にもみえないにいちゃんにより、
ナンパを成功させつつの
「やっぱ面識のある飲めない子より面識のない飲める子とのほうがいいっすよ」なんて至言が
交差点で信号待ちしているあいだに吐かれるおそろしか街であった。
(あと異様に店員などが粗野な空気。あと109のあることがたぶん住民の誇り)
かえってきたら前のいえのおやじ*1ふく口笛が
20年来の月月火水木金金から「野ばら」になっていたので
やっぱり金沢はなんかあるな、と。



金沢コミュニティシネマ主催フレデリック・ワイズマン映画祭*2
(於金沢21世紀美術館*3
『福祉』(Welfare/1975)
『チチカット・フォーリーズ』(Titicut Follies/1967)
『霊長類』(Primate/1974)
『DV』(Domestic Violence/2001)



えー、
1年に1度のペースでしか
スクリーンをお目にかからんうちとしては
まったく「コミュニティシネマ」以外のなにものでもない、
友達ではないが映画場で見知りあったらしい人たち(むろん待ちあわせちゃない)が
毎回5組は軽くあいさつしあっているような祝祭空間がなんつうか。
それと関係あるかないかしらんが
適度なポイントで笑ったりする
噂の絵にかいたシネフィル連中のうざさというのもはじめてまのあたりに。
こいつらにいらつくべきか、
こういう死ねシネ団*4が集まってくるところでしかワイズマン映画を見れんことにいらつくべきか
ないまぜ。
まあうちはそんなことでむかついてられるほど偉くもないので
きちんと映画をみることに。
とにかく見た映画はだいたい凄かった。
あと生はすみんもそれなりに凄かった。
(アジもはったりも勘違いもかましまくればなんかだなと)





備忘録の備忘録
「映画の極道」ワイズマンについて



A
はすみ先生*5仰るとおり
ワイズマンの映画は単なる映画であって
ドキュメンタリーではない?

1)カメラの前でおこる"いま"
2)1)をワイズマンが発見し表象する"いま"
3)2)を見ている"いま"
以上みっつの"いま"は
表象された"いま"に対し表象自体が、
また、上映されるまで見れない以上映画という表象に対し観客が、
それぞれいつも持っている遅れによりずれ、
しかしいつかのいつかがあくまでいつかのままこの映画館の中での"いま"となるような形で
すべて重なっているということこそ映画の定義である。
この重なりに劇映画とドキュメンタリーの差がない以上
ワイズマンがつけないでおく、
表象された"いま""ここ"が
厳密には何年のいつなのかというキャプションやナレーションは無意味。



B
ワイズマンの映画にはなんの問題提起もなく
問題はみなさまでお考え下さいというような
開かれたようなふりをする気配もなく、
えた何かを高いとこから教える気もないどころか
自分で学ぶ気すらなさそうに思えるのは
はすみんがいうように
「みんなで"いま""ここ"でおこっていることを見てみましょう」という気持ちからだけではなく
"いま""ここ"がかのように"いま""ここ"となったという原因のようなものには
ワイズマンが実はほとんど興味がないからだ。
『福祉』や『霊長類』なら福祉局や研究所、
『DV』なら駆込み寺としてのシェルターを中心とした「DVが発生・存続する磁場」と、
ひとつの映画ではひとつのコミュニティの"いま""ここ"がただ撮られているだけである以上、
早朝から生活保証のため歩いてやってきた人間をたらいまわしにしてたり
猿に電圧をかけて交尾させたり射精させたりしても、
ただ撮ることにかわりなし。
なので、
「お前みたいな黒人なんてみんなぶっ殺してやる」と
役人に息巻く退役軍人のじじいどころか
まったく「福祉」に関係なさそうな
ぜったいだれだれさんよりあたしのほうが働いてますってなんて
上役でもない同僚にこぼす女の福祉局役人もうつす。
うつすだけならもちろんフィルムがむだになることもあるけど
なぜか編集で残す。
このカットにまつわる作業の流れは
カメラの前の"いま""ここ"には問題提起どころか道徳も関連性も必然性もあるかいということなので
つまりおっさんの"いま""ここ"至上主義。こわい。
(だからこそ、
弁護士資格をたてに、撮影する一般人全員と
あらかじめ「あとでなに言っても完成版からは削りません」とかわす契約は
貴重なフィルムのむだやらアメリカじゃやかましい肖像権うんぬん以前に、
ただ単にもうおやじが周到でこわい)


ほいのほいの補遺
たとえば
「ぜったいだれだれさんよりあたしのほうが働いてますってなんて
上役でもない同僚にこぼす女の福祉局役人」の存在は、
ドキュメンタリーと政治という文脈で
まえにほんのちょっとあたまを占めていた
ぬぐいきれない「映されているわたし」の意識と政治性ともに
ドキュメンタリーはドキュメンタリーたりうるかという問題なんかは
ワイズマンがやはりドキュメンタリストであれまた単なる映画作家であれ
存在しないも同じにかるくとびこえとんなと感じさせるものだった。
つまりわしの古い問題を『福祉』の該当部におくと
「使われないかもしれないけど使われれば削ってはもらえない撮影で
わざわざそんなこと口にするのはカメラがあるからではないのか」ということになるが
神の目がワイズマンにない以上"いま""ここ"を記録できるのはカメラなので
「映されているわたし」があるのはしょうがない、しょうがなくないではなく
記録されるさいの自然な状態にすぎないということから。
もちろん、これが自然な状態であることをも示せるようなカットを
ワイズマンはあえて残したというふうにもいえる。

*1:ほれあれよ、帰宅したところを近いうち捨てようと思って玄関に出してたベッドマットに押しつぶされて圧死寸前っつうわしの芝居(母親はスルー)をこっそり見てて次の日大変だったな娘さんなんて泡とばしたおっさんな

*2:http://www.geocities.jp/com_cine/wiseman/index.html

*3:http://www.kanazawa21.jp/

*4:死ねお前らみたいなシネフィル集団はの略です、むろん

*5:と、この敬称が冗談でもなんでもなく通用する場でしたよ!

続・人生負けっぱ(ぴょんぴょんも買ってました篇)

これほんまにいるんかとおれに小一時間

  • 今期の俺だめトピック

「ようこのようは太陽のよう」


見たほうがいい見たほうがいいといわれつつ
けっきょくガンダムもみたことねえし
どう考えても俺もえ系の銀河英雄伝説もスルーして
ながれながれた20余年。
だって女の子だもん。

以下はその「女の子」とやらが
購入にこぎつけた女の子グッズ(編年体


80年代中期
魔法のスターマジカルエミハートブローム

末期
第二期ひみつのアッコちゃんコンパクト(第一世代*1
レディレディ!!まほうの鍵

末末期
1)魔法少女ちゅうかなぱいぱい!ちゅうかなステッキ
2)ハローレディリンまほうの馬車*2
3)アイドル伝説えり子えりりんペンダント


90年代初期
ショーワアイドル天使ようこそようこかるた*3


補遺
購入失敗女の子グッズ


90年代初期
魔法のエンジェルスイートミントミントアロー
美少女仮面ポワトリン美少女マスク*4


……ア、アッコ以外セレクトが終わっている……
しかし萌えとゲーム以外にわしゃなにをしていた80年代だったんでしょうか。*5
なかよしみなさんの80年代ぜひおよせ下さい。


  • 今週のイミテーション銀幕


『戦国野郎』(WOWOW

やっと積極的にマキノに近づいてったのか、と思いきや
うーん、なんだか襲いくる敵の人数が半端。
黒田硫黄のように「マキノなら3対200だな」と言いたくもなるが
史上初図体のでかい萌え系中谷一郎といい
萌え以外の何ものでもない現状からは想像不可の星由里子*6といい
どうしてこうハウメニーいい萌え。

*1:指輪がなくて光らないほう

*2:6/8追記裏番組のめぞん一刻を蹴ってまで見、原作まんがにまで手を出した低視聴率番組であったのにグッズ購入の事実は備忘録記入日には完全に忘れ去られていた。シリーズ第二弾になっても追っかけ買いつづけたにもかかわらぬこの非情

*3:小学校んときみんなで新年かるた遊びをしましょうといわれて持ち寄ったかるた。林原演じるサキさんもえを隠さなかったのは女児の中でもあとオタ1人だけだった

*4:しかしネタだろ?俺

*5:ホイの補遺の補遺として、恋した芸能人が「カノッサの屈辱」でみた仲谷昇(小学校低学年)、「ちゅうかなぱいぱい!」でみた斉木しげる(小学校中学年)だったという過去

*6:花登筺と結婚なんかするからだと御母堂は申しております

人生負けっぱ

世間はCLですがこの手なんですか?

マジョリカの限定アイライナー(とタイガーバーム)に負けた……


  • きょうのホンホン


トッティ王子のちょっぴし(はあと)おバカな笑い話』

人生負けっぱのわしだが
この本がネヤガワ中央図書館に入荷しているのを見たとき
ここを逃したら負け犬とばかり
ひっつかんでかえってきた。
が、なにせイタリア語がようわからんので
おもしろさもようわからん。
翻訳たあしょせんそんなもんなんだけど
もうちっとこれは努力のしようがあったかなと思う。
スポーツライター業界は記事だけでなく翻訳もパーなのだろうか*1
ネタどきゅん的にはトッティら、
ネタ×ヴィジュアル×肉体×どきゅん的*2にはガットゥーゾ
イタリア代表に穴はないね*3



5/26追記

トッティお笑い本奪取(のちイタ語ようわからず)で
プラマイ若干勝ちかと思われたおれライフも
せっかくフジさんがやってくれたCL決勝が
延長30分終了きっかりに標準録画のビデオが自動でまきもどるという幕切れで
やっぱ負けっぱ。
(頼むから試合始まる前に金でも銀でもなく普通の延長戦ですって言ってくれ)


  • きょうのぴこぴこ


『Ghettochip Malfunction』(BECK

正直
中途半端なぴこぴこのゆるいよさも
コンピュータ声(つうかMacOS声だあな)のかわいさもよくわかった上で
BECKのもともととくらべてみても
うちには退行としか聞こえん。
なにがだめなんやろ。
ドラムに気合いがたりないのと
終わらせかたが「逃げ」の要素を持ってるように聞こえちゃうのとかしら。
当人とは音楽の趣味はあうだけにいつも軽くがっかり。
(どっちかというとこの人の音楽聴くより
ふたりでRay Wonderの再結成に尽力したい気持ち)


  • 今週のイミテーション銀幕


『八日目』(ジャコ・ヴァン・ドルマル)


映画のサウンドトラックには踊らされない主義信奉者*4だが
この映画には踊らされてもいい。
さみしいことだが
映画には女がいらないのではないかという気がする映画は
たいていいい映画である。
まあ、『はなればなれに』の
1分間沈黙ゲームを
感動的に継承する唯一の映画であるというだけで
男も女もどうだっていいんだけど。

*1:とはいえ乙武くんのいないNumberユーロ特別号は清清しかったです。谷岡さん忘れずかえしてください。5/28追記:関係者各位さま ユーロ特別号に関しては「冤罪も冤罪」とのクレームがありました。敗れ去るルイコス最後の代表ユニ後ろ姿が表紙の号だっただけについ見切り発進しました

*2:畢竟最強

*3:あるとすれば使えねえビエリくらいかしら。なお鍵穴は確実に見えています

*4:そしてウディ・アレンのサントラはアナログでのみ出してもらいたい主義信奉者、マスタリングのしなおし却下。気づけば同じようなことを5/1の項にも書いていましたが。