祝完全備忘録化

ラストの廃墟は、自分ちです

チラシの裏っていっても、新聞とらないから。


  • 今期の枕

「突然いなくなるの事」



母親が高校までいた、みんなが捨てていった集落が
すさまじい廃墟として形容されていたのをみた。
個人的には日本一の廃墟はそこじゃなく、違う場所だと思うし
マニアもそう言うだろうけど、
「よくもまあこんなところに住んでたな」と
サイトに書かれるにふさわしい場所ではいまやあるかもしらん、
鬱陶しいからくわしくは書く気ないけど。
前に母親の同窓の人が撮って送ってきたビデオもちら見したときは
同窓会のガヤが映ってたのもあってか「うへえ」くらいですぐ忘れたけど、
今回撮影効果満点の写真も怖いもの見たさ半分で見ちまって、
家の中の暗さをおそれる夜が一晩あった。
で、腹がたって頭が動いて眠れない朝になった。
人間、どんな場所だろうとそこしか知らなきゃそこで暮らすさと、
大筋そんなところでまずは「よくもまあこんなところに住んでたな」に腹をたてた。
けどそんなことより
……たとえばうちんちは土地も家も母親とあたしの共同名義だけど、
(なので、けんかになったら二人とも「ここはあたしんちや、出てけ」と言える)
母親が死んで、あたしがある日ふと突然蒸発するようにいなくなったとすると、
家を取り壊す権利なんかしばらくは誰にもなくって、
そうするとこんなところはすぐに廃墟になるのだ。
「よくもまあ住んでたな」と言われるような感じの。
たとえばの話。
けど、そんなこと、なんにもめずらしくないことなのに、
きっと、
SFマニア(+いい歳こいてスタンドバイミー気取りか)みたいのが
金かけて船借りたりだか壊れた道とばしたりだか不法侵入したりだかの
ずいぶんご苦労なことでこそなりたつのが廃墟サイトのはずなのに、
そんなことにも想像力が及ばんのか、
その口で安部公房ファンだとかまさかベーコンの画が好きだとかぬかしたりしやがんのか、とか。
そんな奴ら全員潜伏してる殺人犯やら獣やらに殺されりゃいいのにとか。
まあうちもこわがってた以上、そんな奴らと同じだったんだけど。
関係のない人間が関係のない廃墟にわざわざ行くのなんて当然自由、
ただ、「ここ」がいつでも廃墟になりうることだけは自覚しろ。
と思った時点で、
闇はふたたびわたしのおともだちになりつつある。
家人は、
話はだいたい見えたけど、
想像力のなさにいちいち怒ってちゃ学生の相手はできないとクールに言った。


後日、母親に話すと、
そこを出てから10年後くらいに
新婚旅行で一回だけ親戚に案内されたことがあるらしい。
そのときにはもうあらかたずたずただったそうだけども。
でも、自分は学校さぼって煙草すって自主退学してそこにいられなくて流れてきたし、
自分の父親は酒乱のあげく部下に諭され殴られてかっこつかなくて辞めてきたんで、
家族みんな大阪に大満足、
やしようわからんわ、とのことで話は終っ……いや、
それにしても昔は町の中心なんか出るとうひゃー都会だと思ったけど
よくもまああーんなとこに住んでたなと思ったよお。
独身時代の京都じゃねえ、
京産から桃山から龍谷から同志社から立命から入れぐいで、もーお楽しかったよお、
いまなら6回は殺されてるね、男に、とのことで話は終った。


結:自分のいる「ここ」もいつだって廃墟になる=自分はいつだっていなくなれる
  「よくもまあ住んでた」ような場所で育とうと、人間って、かわんない
   京都大学には相手にしてもらえなかったようだ



  • 今期のいなくなるつながり

チェンジリング』覚書(いまさら)


ちまたはもう『グラン・トリノ』とかいうてるけど。*1
ちなみに家人は、新作公開前日、
近所のイオンの映画館の売店いって
パンフないかどうかみにいこうよとせがんできた。
バックルームに準備万端でも売るわきゃあねえっつっても
もうこうなったら止まらないのが家の馬鹿野郎、
くまなくヤッターマン花ざかりのコーナーをながめて
はあそうなのかあとかいっちょ前に落胆して帰ってきた。
次の日、
バイクで道の確認と称して
他になあんの用もないくせに
広いロビーにプロモーション用のグラン・トリノの1/1模型が設置されてないか、
それはないにしても当然売るはずの、
朝鮮戦争時代のショットガンを構えたじじいのフィギュアはどこにあるのか見に行って、
パンフだけ入手してまあしかたないけどととりあえず満悦していた。
チェンジリング』みて、
或る夜の出来事アカデミー賞受賞のシーンのみで泣いちゃったとき、
おれ馬鹿だなあと思ったけど、
なんつか、ここまで馬鹿になれねえ。



  • スリラー作家として優秀すぎる画が10分の10
  • 脚本が壊れてる。LAコンフィデンシャル世界とかマジョリティの暴力どころか、連続殺人犯とか息子がほんとは生きてるのか死んでるのかもイーストウッドは完全どうでもいいんじゃないか
  • 病院のシーンもたぶんアンジェリーナ・ジョリーに水ぶっかけてみたくて出した(ドSだから)
  • 今期のほんほん

「スタイルについて」
『残酷物語』ヴィリエ・ド・リラダン(訳:齋藤磯雄)
Contes Cruels/Villiers de L'Isle-Adam


文体ってどうも、
ゴージャスなものではないらしい。
少なくともフランスでは―それもかつての。
装飾音が多い文章は「sans style(文体なき)」と形容されるらしい。
(たとえば、マルローみたいな。たぶん、バルザックみたいな?)

名前に「アダムの島=地球」を含むところからしてすさまじ系のリラダン
そもそも詩人らしいし、
文体ほめられるだけあって、
原文もむつかしいに違いないと思って読み始めた旧い訳本は、
むしろ原著がなければ意味もとれないところが多々あるくらい、
フランス語はすきっとしていた。
信じられんほど読みやすい。
原石から削ぎ落とすもののないところまで削ぎ落としたもの、
それが長らく文体だったらしい。
そこが出発点であるからこそ、
クノーみたいのが出てくるんだろうと思ったり。
石川淳が座右の書にしてたのをのち知ったけど、
たぶんそれはうちがあんまり好きじゃないほうの石川淳だな、
小説自体はそんなおもしろくなく、
原著で読むかと借りてきたきっかけの『未来のイヴ』への興味は失せつつあるけど。

*1:イーストウッドの映画が年に2本見れる僥倖がまたも来たるなんざほぼいかがなものか、だよ